あと2年早く巡り合っていれば。。。

19歳の時のヘルニアの痛みを取ってくれたのは、
確か「太陽壮健会」という名前だったかな。。。?という、
いわゆる「整体」に 分類される民間療法の先生だった。

ぎっくり腰なら、一回で歩けるようになる、本当に腕の良い先生だった。

でも、家から通うには遠すぎた。
車で小一時間かかってしまう。。。

主人が近所で見つけた、矢張り、民間療法の先生だが、
H先生としておこう。

そこに通う事を主人が薦めたのだ。

試しに自分が掛かってみて、
「本当に痛くも無く、何されてるか解からないけど、良い感じだから」と、
私に言ってきた。

折りしもパンジーの植え替え作業の真っ最中。
痛みで眠る事も出来ず、疲れ果てていた私を気遣ってくれたのだ。

でも、長年かかっていた整体の先生を変える事は、
非常に抵抗があった。

もし、変にいじられて、立てなくなってしまったら。。。
もし、自分にあってない療法でこれ以上の痛みを背負う事になってしまったら。。。
など等、散々悩んだ挙句、義母の一言で、行く事に。

「医者は近いに越した事は無い」

はい、おっしゃる事はご尤も。
でも、もう2度とかつての整体の先生の所へは戻れない。
妙な、予感めいた勘が走った。

そして、その勘の通り、私は今でも(2004年7月で丸2年10ヶ月)、
H先生に頼りきりになってしまったのです。

まず、問診に小一時間掛け、
「ヘルニアね、1年かかって治らないなんて、藪医者だ!」
と、のたもうた。

しかし、施術を受けて、全身を写す鏡を見て驚いた!
私の背骨は、S字曲碗の全く無い、物理的に骨盤に対して垂直な形に
変形してしまっていたのです。

コルセットで筋力の弱さを補う形で無理を重ねた結果、
自分で自分の骨格を変形させるまでの「無理」を
強いる結果になってしまっていたのです。

H先生は、自分でもボディビルを学んで、実践している先生なので、
私の背骨の「物理的直角さ」を見て、唸っていた。
「う~ん、これも一種のボディビルだな~。
自分で自分の体を創り上げるって事に関しては、理論は同じなんだよ」
と、妙に感心していたが、実はそこから私の、文字通り、「地獄」が始まった。

物理的に真直ぐになってしまった背骨に、
元のS字曲碗を戻す。

言葉では簡単だが、骨の形を変えるのだ。

伴ったのは、ひどい違和感と、激痛。
一歩歩く毎にまた、垂直に戻ろうとする骨達とそれを取り巻く
骨格筋との闘い。

H先生は未だにこう言う。
「あと2年、早く巡り合っていればこんなにひどくしない内に、
治してあげられたのに。。。ま、でも、これがあんたの運命だから。。。」

ヘルニアは1年で治せなかったら藪医者だ!と、豪語していたH先生だが、
2年10ヶ月経った今でも、週に2度、通い続けている。

ヘルニア以外に、あちこち故障を抱えていたのが次々に解かったからなのです。


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